神待ち女性にとっての本当の「神」とは?
神待ち女性という言葉が聞かれるようになってからもう何年も経ちましたが、そもそもなぜ寝泊りさせてくれる男のことを「神」と呼ぶのでしょうか。
それには女性達による神の定義なるものがありました。
・神の定義その1「見返りを求めない完全な善意であること」
「ホテル代を払って、一晩泊めてあげるからエッチをさせてほしい。」
「食べたいものを食べさせてあげるから、胸を触らせて。」
神待ち女性に少なからず時間とお金をかけるわけですから、それくらいのことはしてもわないと!と思ってしまうかもしれませんよね。
でも、それを思ってしまったら彼女達の「神」にはなれません。
泊めてあげたから、食事を提供したんだから…体をよこせというスタンスは、神の定義から外れています。
彼女達が神だと思うのは、「完全な善意」から泊まる場所や食事を提供してくれる男性のこと。
なんらかの見返りを求める男性は、ただの「泊め男」に過ぎません。
心配だから、力になってあげたいから…といった善意で、性的なものなどを求めることもなく気持ちに応えてくれる人を神と崇めるのです。
・神の定義その2「欲したものを望むまま与えてくれること」
神は値切ったりしません。食事も、神待ち女性が望んだものを与えてくれます。
焼肉がいいといえば、少々お高くついても焼肉へ連れていってくれる…そんな懐の大きな男性が神なのです。
ファストフードじゃなきゃだめ、とかいうのは論外です。
泊まる場所も、ホテルが良いと言ったらホテルに連れて行ってくれるような男性が神なのだそうですよ。
宿泊費を浮かせるために、自宅へ連れ込もう…といったことを考えているうちは、神にはほど遠いということですね。
・神の定義その3「心情に寄り添い接してくれること」
神待ちをしている女性には、なにかしらの心の闇があります。
家に居るのがイヤ、という理由も更にいくつか細分化することが出来ます。
親の異性関係にウンザリしていたり、暴力があったり、学習面でのプレッシャーがあったり、その理由は様々。
多かれ少なかれ闇を心に抱えて神を待ち望んでいる女性に対して、多くは聞き出そうとせず気持ちを飲み込んでくれるような男性こそ「神」なんだとか。
言葉少なでも、なんとなく複雑な心中を理解してくれて、なにも聞かずに休ませてくれる男性…これが、彼女達の望む神の姿なのです。
神待ち女性達は、自分がなにか努力しようとはしていません。なにをしてもらうか、ここに尽きます。
神になるには、軽い気持ちでは無理そうですよね。寛容な心とある程度の経済力、そして強い精神力が必要になるということです。